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建仁寺にある石碑

栄西禅師 茶碑

京都最初の禅寺、建仁寺は、臨済宗建仁寺派の大本山で、建仁2年(1202)に源頼家の帰依を受けて栄西禅師により建立されました。山号を東山(とうざん)と号しています。俵屋宗達作『風神雷神図屛風』や小泉淳作『双龍図』でも知られています。

栄西は、中国の宋から持ち帰った茶の種を、高山寺の明恵上人に贈ったことから、京都にチャの栽培が広まったと伝えられ、茶祖としても知られています。この碑は、境内の東側にあります。

桑の碑

栄西は、承元5年(1211年)の71歳のときに、日本最初の茶書『喫茶養生記』を著しました。

「茶は養生の仙薬なり。延命の妙術なり。山野之を生ずれば、其の地神霊なり」という文章で始まります。上巻は茶の効用、下巻には桑の効能を詳述しています。

 

幕府の公式記録である『吾妻鏡』には、三代将軍源実朝が二日酔いで苦しんでいた時に、栄西がお茶と『喫茶養生記』を差し入れ、実朝がそれを飲んだところ、たちどころに不快が消えたというエピソードが記載されています。

平成の茶園

栄西禅師がもたらした茶の將来800年(平成3年)を記念して、植樹栽培した覆下茶園です。毎年5月10日頃、初摘みした茶葉を石臼で挽いた抹茶を、御開山歳忌(6月5日)にお供えし、ご遺徳茶恩に感謝の誠をささげているそうです。建仁寺の境内を歩いていると、道の横にも茶の樹がたくさんあります。

宇治市にある石碑

黄檗山萬福寺 駒蹄影園(こまのあしかげえん)碑

黄檗山萬福寺の山門前には駒蹄影園碑が建っています。この碑は、鎌倉時代の初め頃、宇治の人々がお茶の種のまき方を知らずに困っていたところ、明恵上人が馬で畑に乗り入れ、「馬の蹄のあとに種をまけばよい」と教えたという言い伝えによるものです。こうして栂尾から、宇治にお茶が伝えられたといわれています。大正15年(1926)に宇治の茶業組合によって建立されました。

玉露製茶発祥之碑

近鉄小倉駅から徒歩10分ほどのところに、巨倉(おぐら)神社というところがあります。その隣の小倉公民館前に、「玉露発祥之碑」という碑があります。

宇治小倉の木下吉左衛門の製茶場にて、江戸日本橋の茶商の山本嘉兵衛が試作し、「玉の露」と命名したところから始まったとされています。

北野天満宮の石碑

北野大茶湯之址

天正15年(1587)10月1日、九州平定と聚楽第造営を記念して、豊臣秀吉が北野天満宮の境内で大茶会を開催しました。千利休など堺の茶人だけでなく、全国から数寄者を集めたといわれています。この石碑は昭和54年に京都市茶業組合が建立しました。裏側には当時の茶業組合に参加されているお茶屋さんの名前が書かれており、その中にちきりやの名前もあります。(当時は「ちきりや茶店」)

太閤井戸

豊臣秀吉が、北野天満宮で茶会を開いた際に、この井戸で水を汲んで茶点てしたと伝えられています。

栂ノ尾高山寺にある石碑

日本最古之茶園

世界遺産にも認定されている高山寺は、鎌倉時代の前期に、明恵上人が再興しました。栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を山内に植えて、茶の栽培を始めたといわれています。そのため、日本茶の発祥の地としても知られています。境内には、「日本最古之茶園」の石碑があります。

茶園

現在の茶園は、もともと僧房十無尽院(じゅうむじんいん)があった場所とされています。現在も5月には茶摘みが行われ、作られたお茶が高山寺で販売されています。