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祇園祭について

祇園祭は、疫病退散を祈願する八坂神社の神事です。古くは祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)と呼ばれていました。貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行した時、神泉苑に66本の鉾(当時の国の数)を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。7月1日の「吉符入」から、31日の「疫神社夏越祭」まで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事が行われます。 もともと7月17日の神幸祭、7月24日の還幸祭に合わせて、前祭巡行(17日)と後祭巡行(24日)がありましたが、諸事情により、1966年(昭和41年)に合同で行われるようになりました。2014年、150年ぶりに大船鉾が復興し、49年ぶりにこの後祭が復活しました。

前祭
7月10日から順に山鉾建てが始まり、14日~16日が宵山行事、17日が巡行となります。
例年14日18時から23時まで歩行者天国になり、出店も出てにぎわいます。 
後祭
7/17日から山鉾建てが始まり、21日~23日が宵山行事、24日が巡行となります。
復活する大船鉾も後祭になります。

祇園祭行事予定は八坂神社のホームページをご覧ください。
http://www.yasaka-jinja.or.jp/event/gion.html

祇園祭山鉾連合会
http://www.gionmatsuri.or.jp/

祇園祭の主な行事

八坂神社

7日 綾傘鉾稚児社参

綾傘鉾の稚児が、神事の無事を祈り八坂神社に参拝します。

長刀鉾

船鉾

10日~前祭 山鉾建て

祇園祭は、山鉾建ても見どころのひとつ。
釘などを使わず、長年受け継がれてきた、「縄がらみ」といわれる手法で、建てていきます。
前掛け、胴掛けなどの懸装品をつける と、隠れて見えなくなるので、この時しか見ることができません。

2016年の山鉾建て

■前祭

7/10 長刀鉾(なぎなたぼこ)、函谷鉾(かんこぼこ)、鶏鉾(にわとりぼこ)、菊水鉾(きくすいぼこ)、月鉾(つきぼこ)
7/11 放下鉾(ほうかぼこ)、船鉾(ふなぼこ)、岩戸山(いわとやま)
7/12 保昌山(ほうしょうやま)、山伏山(やまぶしやま)、芦刈山(あしかりやま)、伯牙山(はくがやま)
7/13 占出山(うらでやま)、霰天神山(あられてんじんやま)、郭巨山(かっきょやま)、芦刈山(あしかりやま)、油天神山(あぶらてんじんやま)、木賊山(とくさやま)、太子山(たいしやま)、白楽天山(はくらくてんやま)、綾傘鉾(あやがさほこ)、蟷螂山(とうろうやま)
7/14 四条傘鉾(しじょうかさぼこ)、孟宗山(もうそうやま)

八坂神社

10日 お迎え提灯

「神輿洗式」の神輿を迎えるため、万灯会有志が、それぞれの提灯を立てて巡行します。 武士の姿や小町踊り、鷺舞いなどの行列が祇園界隈を練り歩きます。

10日 神輿洗い

中御座(祭神:素戔嗚尊 すさのをのみこと)・東御座(祭神:櫛稲田姫命 くしいなだひめのみこと)・西御座(祭神:八柱御子神 やはしらのみこがみ)と三基の神輿のうち、東御座と西御座は八坂神社の舞殿へ、中御座は四条大橋で神輿を清める「神輿洗神事が行われます。

八坂神社の境内で、松明に点火します。これを神輿の担い手が肩に担ぎ、四条通りを進んでいきます。松明や提灯の明かりに見守られながら、四条大橋から汲んだ鴨川の水を、榊につけて神輿に振りかけます。

放下鉾

12日~13日 前祭 山鉾曳き初め

組み立てが完了すると、祇園囃子を奏でながら町内の試し曳きが始まります。
この曳き初めは、一般の方も参加することができます。

長刀鉾:7月12日 15:30
函谷鉾:7月12日 14:00
月鉾:7月12日 15:00
鶏鉾:7月12日 14:30
菊水鉾:7月12日 15:00
放下鉾:7月13日 15:00
岩戸山:7月13日 15:00
船鉾:7月13日 15:00
蟷螂山:7月13日 12:00

13日

長刀鉾稚児社参

長刀鉾のお稚児さんが、白馬に乗って八坂神社へ詣で、巡行の無事を祈願します。

久世稚児社参

久世稚児(駒形稚児)が八坂神社へ詣で、祭の無事を祈ります。
久世稚児は、馬の頭をかたどった神体「駒形」を胸にかけることから、駒形稚児とも呼ばれます。

月鉾

黒主山

新町通り

14日~16日 宵山、屏風祭

各山鉾町で山鉾を飾り、祇園囃子を奏でます。山鉾町が保存している豪華絢爛な調度品を、間近で見ることができるのが見どころです。

また、山鉾町にある旧家・老舗が、所蔵する美術品・調度品などを飾り、一般に公開する「屏風祭」も同時に開催されています。

16日 豊園泉正寺榊建

東洞院仏光寺東入ル
かつて、各町内の榊奉斎行列が全神輿に供奉したという記録があり、現存する一基になります。「榊」は、神の「よりしろ」として榊台を立て、ここに神をお迎えし、祇園祭の宵宮に祭壇を飾り祀ります。神幸祭では、中御座神輿の前を供奉します。

豊園泉正寺榊の粽は、山鉾の中で唯一、八坂神社で御祓いを受けたものです。

八坂神社

16日 石見神楽

島根県石見地方の伝統芸能。八坂神社の祭神スサノヲノミコトが登場することもあり、神事として奉納されます。

岩戸山

16日 日和神楽

巡行時の晴天を祈り、前祭を巡行する各山鉾町の囃子方が、演奏をしながら御旅所と各町会所を往復します。
長刀鉾のみ八坂神社まで出向いて奉納します。

長刀鉾: 7月16日 22:00
函谷鉾: 7月16日 22:00
月鉾: 7月16日 21:30
鶏鉾: 7月16日 21:40
菊水鉾: 7月16日 22:00
放下鉾: 7月16日 21:30
岩戸山: 7月16日 22:00
船鉾: 7月16日 22:00
綾傘鉾: 7月16日 21:00
四条傘鉾: 7月16日 21:40

月鉾、三条新町

蟷螂山、三条新町

長刀鉾 注連縄切り

17日 前祭 山鉾巡行

巡行することで町を清め、神様を町に迎える準備をします。巡行後、集めた邪気が逃げないように山鉾はすぐに解体されます。

四条麩屋町で長刀鉾の稚児による注連縄切り、四条堺町でのくじ改め、曲がり角の辻廻し、山鉾が連なる大通り、間近で迫力のある新町通の巡行などが見どころです。

唯一からくりが施されている蟷螂山(とうろうやま)は、屋根の上のカマキリが、巡行しながらカマを振りあげたり、羽を動かしたりと、とても愛らしく人気があります。

四条御旅所

17日 神幸祭

スサノオノミコトをはじめとする八坂神社の祭神を遷した3基の御輿が、各所定のルートを通り、四条寺町付近の御旅所で鎮座します。24日までここで祀られます。

大船鉾

南観音山

17日~ 後祭 山鉾建て

前祭と同様に、後祭の山鉾建てがはじまります。

2016年の山鉾建て

後祭

7/18 大船鉾
7/19 北観音山(きたかんのんやま)、南観音山(みなみかんのんやま)、鯉山(こいやま)
7/20 浄妙山(じょうみょうやま)、黒主山(くろぬしやま)、役行者山(えんのぎょうじゃやま)、鈴鹿山(すずかやま)、八幡山(はちまんやま)
7/21 橋弁慶山(はしべんけいやま)

大船鉾

北観音山

20日~21日 後祭 山鉾曳き初め

前祭と同様、組み立てが完了すると、祇園囃子を奏でながら町内の試し曳きが始まります。 この曳き初めは、一般の方も参加することができます。

大船鉾:7月20日 15:00
北観音山:7月20日 15:00
南観音山:7月20日 15:00
橋弁慶山:7月21日 11:00

ちきりやの前を通ります

23日 役行者山 護摩焚き供養

御神体が修験道の創始者である役行者であり、修験道との関わりが深いことから、聖護院門跡の山伏が役行者山の前で護摩焚きをして祭りの無事を祈ります。

山伏たちは、三条通りを西へほら貝を吹きながら通り、役行者山へ向かいます。

山伏問答のあと、四方に矢を入り、太刀で空を切るなど清めてから、護摩壇に点火し、祈祷を行ないます。

あばれ観音

23日 南観音山あばれ観音

深夜に行われる南観音山だけの儀式。御神体を布で覆い、台座にくくりつけ町内を巡行します。途中台座を上下にゆすって暴れさせるため「あばれ観音」と呼ばれています。

南観音山、ちきりや前

23日 日和神楽

巡行時の晴天を祈り、後祭を巡行する各山鉾町の囃子方が、演奏をしながら御旅所と各町会所を往復します。

大船鉾: 7月23日 21:30
北観音山: 7月23日 21:30
南観音山: 7月23日 20:30

烏丸御池

24日 後祭 山鉾巡行

橋弁慶山を先頭に後祭の鉾1基、山9基が各町を出て烏丸御池に集結、9時半に烏丸御池を出発します。17日の前祭巡行とは逆のコースを10基の山鉾が進みます。

八坂神社前

河原町通り

24日 花傘巡行

元々、17日(前祭)と24日(後祭)に分かれて行われていた山鉾巡行が17日に統一されたことをうけ、「後祭」を伝承すべくはじまりました。
そして2014年には、後祭が復活することを受け、後祭巡行とともに実施されることになりました。

傘鉾十余基・馬長稚児・児武者等列を整えて、所定のコースを巡行します。
八坂神社に到着後、舞踊などの奉納を行います。

四条通り

24日 還幸祭

3基の神輿が四条御旅所から、各所定のルートを通り八坂神社へと戻ります。

23:00過ぎに、八坂神社に神輿がそろい、儀式が始まります。南楼門が閉ざされ、午前0時ごろ、境内の灯が消され、あたりは静かな闇に包まれます。その中で御霊遷しの神事が行われます。
和琴の音とともに舞殿から本殿へ御霊が移動する際には、「おぉー、おぉー」という声が響き渡ります。夜中にひっそりと行なわれる儀式は、厳かで幻想的で、一見の価値があります。

31日 疫神社夏越祭

摂社の疫神社の鳥居に取り付けられた茅の輪をくぐって厄を祓います。

ちきりや本社 町内の山 休み山 鷹山(たかやま)

千切屋一門が店を並べていた衣棚町には、鷹山という祇園祭の山がありました。祇園祭は応仁の乱でいったん中断しますが、この鷹山は応仁の乱以前から「鷹遣山」という名で記録に登場します。ご神体は鷹匠、犬飼、樽負の御三方で、中納言在原行平が光孝天皇の御幸で鷹狩りをする場面です。

祇園祭の祭礼に出るいわゆる山車は、「鉾」と「山」の二種類で、鉾は大きな車がつき、金属の飾り物を先端に付けた長い棹を屋根の上につきだしているのに対して、「山」は、基本的にはなんらかの物語の人形などを載せてかついでいきます。ところが「山」の大きなものは、鉾と同じスタイルになっていました。違いは、屋根の上に松の木を建てることです。これを「曳き山」といいますが、鷹山は「くじとらず」の大きな曳き山で、長刀鉾と車を共用(長刀は7月17日の前祭、鷹山は同24日の後祭に巡行したので、共用は可能)していたといわれています。

  • 鷹匠

  • 樽負

  • 犬飼

会所に飾られている祭壇。
速素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、
櫛稲田媛命(クシナダヒメノミコト)、
五男三女八柱命(二人の御子)

江戸時代後期には、
黒漆塗で破風裏は金という
華麗な屋根を持つ曳山になりました。

焼け残った鉦(かね)4丁と鉄瓶

鷹山には三体の大きな人形が乗っていました。鷹を手にする鷹匠、犬を率いる犬飼、樽を背負い、ちまきを手に持つ男の三人です。「衣棚町鷹山保存会」のパンフレットには、「鷹を持つ人物は頼朝という説もありますが、おそらく光孝天皇仁和二年(886年)芹川野行幸の時、中納言行平卿供奉の鷹匠姿を模したもの」と述べています。 ところが、鷹山は文政9年(1826年)巡行時の大風雨によって破損してしまいます。その後巡行できず、さらに蛤御門の変(1864年)による大火で、人形三体の首と手を残して焼失してしまいました。

残った頭部と手に簡単な衣装を着けて、現在も祇園祭には衣棚町の会所に飾る居祭(いまつり)を続けています。
真ん中に樽を負った人物がいることから、「樽負い山」とも呼ばれました。それがなまって「太郎山」という呼び方もあったようです。この大きな曳き山を衣棚町が維持、運営していたましたが、当然その中心は千切屋一門でありました。祇園祭のお囃子は一般には「コンチキチン」といわれていますが、鷹山のお囃子の音が「チジキチキン」であったといわれることからも、千切屋一門が鷹山を支えていたことが伺えます。

鷹山の装飾品13点(鷹遣、犬飼、樽負のそれぞれの御首とそれを収納する御首箱、お三方の両手とそれを収納する箱、焼けた鉦4点)は、京都市文化財の有形民俗文化財にも指定されています。

京都市情報館ホームーページ
http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000039313.html

祇園祭は、2014年から後祭巡行が復活し、7月17日の前祭巡行と7月24日の後祭巡行に分かれて行われます。鷹山もこの巡行復活に向けて、2014年に鷹山囃子方、2015年5月に一般財団法人鷹山保存会を設立しました。2014年に保存会のTシャツ作成、2015年は神紋を入れた提灯や浴衣を作成、さらに授与品の販売も開始します。

鷹山の神紋

鷹山のこちらの神紋は、「鴛鴦(えんおう)」といい、鷹のオス(鴛)とメス(鴦)をあらわしています。
江戸時代の鷹山ご神体の図の中で、在原行平が着ている衣に鷹の鴛鴦紋様があり、そこからきています。

天明2年6月「鷹山人形 錺付(かざりつけ)目録案文」にも、
 中納言行平卿 狩衣紗金黒紅鴛鴦
という一文があります。

鷹山の二階囃子

2015年より189年ぶりに二階囃子が復活しました。
鷹山も休み山からの復興を目指しております。
鷹山の復興に是非とも皆様の力をお貸しください。

<御寄付要領>
一口千円単位にて賜ります。
御芳名を鷹山保存会の芳名録に記載して永久に保存させていただきます。
10口以上の御寄付を賜った方には鷹山復興祈念品をご用意し、後日、お渡し致します。
1000口以上の御寄付を賜った方には、鷹山本体木組み部分に御芳名を記載させていただきます。

<御寄付の方法>
郵便振替口座 00960-7-173909 
加入者名 一般財団法人 鷹山保存会
京都銀行 三条支店 普通 店番 121 口座番号 5054850
口座名 ザイ)タカヤマホゾンカイ
名義 一般財団法人 鷹山保存会

鷹山保存会 公式ホームページ
http://www.takayama.or.jp/

ちきりや茶寮 町内の山 孟宗山(もうそうやま)

ちきりや茶寮のある笋町(たかんなちょう)には、孟宗山があります。
中国の史話「二十四孝(にじゅうし こう)」より『孟宗』を取り上げた山で、母の欲しがる筍を雪の中掘り当てた孟宗の姿をご神体としています。人形は七条大仏師康朝左京の作といわれ、唐人衣裳に笠をつけ右手に雪をかぶった筍、左手には鍬を肩にかついで立っています。孟宗山の粽には、親孝行のご利益があり、別名笋山(たけのこやま)とも呼ばれています。

見送り

2014年に「見送り」を新調しました。竹内栖鳳画伯執筆の肉筆見送り「孟宗竹藪林図」を、(株)龍村美術織物様による綴織で 見事に再現されていました。その細やかで匠な技術には圧倒されます。
左が肉筆で、右が新調された綴織のものです。

孟宗山見送り 竹内栖鳳筆 孟宗竹ノ図

皇紀2600年
栖鳳画伯喜寿
初代梅軒還暦
之を機として寄贈す
綴織川島織物にて制作す
梅軒画廊 佐藤桂造記

胴掛け

胴懸は、2010年に新調されました。平山郁夫筆の「砂漠らくだ行(日)」「砂漠らくだ行(月)」で、昼と夜のさばくの風景が描かれています。

見送りの房掛には、麒麟(きりん)が描かれています。

お茶にゆかりの山鉾

菊水鉾のお茶会

鉾名は、町内の菊水井戸にちなんで付けられました。会所では、7/ 13~16の4日間、日替わりで表千家・裏千家・遠州流によるお茶会が開催されています。お菓子は亀廣永の「したたり」で、お皿は持ち帰ることができます。そのデザインが毎年変わるので、それも楽しみのひとつとなっています。

御神体の前にお茶が備えられており、会所でお茶をいただくということは、本来はこのお供えのお下がりをいただくことから来ています。

菊水鉾の荷茶屋

芦刈山の荷茶屋

太子山の荷茶屋

荷茶屋(にないちゃや)

荷茶屋は、てんびん棒で担ぐ二つの箱の中に風炉釜や水差し、茶わん、茶筅などを入れた可動式茶屋で、山鉾巡行の際に同行し、辻回しなどの時間待ちお茶を飲まれていました。お茶を飲むことができるのは、裃を着た町の役人のみで、鉾の引き手は飲むことができませんでした。江戸時代の絵図にも見られ、複数の山鉾の後に続いていましたが、昭和30年代に冷たい飲み物が普及し、巡行時間が短縮されたこともあって、姿を消してしまいました。

菊水鉾の荷茶屋

他の山鉾に先駆けて復元されました。今は冷たいお抹茶を配られています。

芦刈山の荷茶屋

2011年に蔵の奥から見つかったもので、高さ約1メートルの木製。裾が広がる形の棚で、内側には小さな戸棚やかめを置く竹の台のほか、茶釜も残っていました。制作や使用の時期は不明。表面に、芦の旧字を使った「芦刈山」の文字が書かれています。

太子山の荷茶屋

太子山保存会が、2013年に復元新調しました。高さ約1メートルの木製で、「太」の紋の透かし彫りが入っています。

ちきりやの祇園祭

2013年 祇園祭グッズ

ちきりや本社では、この期間だけ祇園祭のグッズを取扱っています。毎年山鉾のミニチュアやはんかちは人気です。

2011年~2016年は、宮川町の舞妓さんがご来店!
舞妓さんとの記念撮影イベントを開催し、大変ご好評いただきました。
2017年は、舞妓さんのご来店予定は残念ながらございません。
楽しみにされていたみなさまには申し訳ございませんが、何卒ご了承くださいませ。
なお、祇園祭グッズの販売は例年通りしております。

  • 2014年 宮川町 いし初の美恵菜さん

  • 2013年 インターナショナルなみなさま。

  • 2013年 同志社大学のご一行様

創業安政元年ちきりや茶寮:【Tel】075-221-0528(受付:朝9時~夜5:30時(土・日・祝除く)) 【Fax】075-211-0258(受付:24時間いつでも受付けております。)
ちきりや茶寮:【Tel】075-253-6322(受付:朝11時~夜9時(日・第4土曜日除く)) 【Fax】075-253-6332(受付:24時間いつでも受付けております。)